水槽日記 On The Web: 編集日記
どうにも、筆が重くなって、すいません。
ブログって、とっても個人的作業なので、
思っていることを書かないと、どうにもならないのかもしれません。
すでに、ニュースなどでご存じかもしれませんが
弊社のバイク雑誌、ライダースクラブの編集長、竹田津敏信が亡くなりました。
先週の月曜日のことでした。
彼とは、16年の間、同僚でした。
ご存じのように、僕はそのライダースクラブという雑誌の出身です。
ライダースクラブを作りたくて京都から出てきたほどです。
16年前になるのかな。竹田津が大学を出て社会人1年生で
バイクが好きだっていうだけで会社に転がり込んできて
文字通り24時間一緒に、バイク雑誌を作る生活が始まりました。
峠でのロケ、サーキットでの走行会の先導
ツーリングにも行ったし、一緒に酒も呑んだ。
年末恒例の六本木での大騒ぎも、
まだ、僕がバイクチームにいた頃恒例だった
自由が丘での、朝までのカラオケでも。
入り口のところに酔いつぶれて寝っころがって
後に奥様になる方が、介抱していたのを、
昨日のことのように思い出します。
リンダリンダとか、雨上がりの夜空にとか、
もう聞くのも歌うのも辛過ぎる曲になっちゃったよ。
新羽町にあった、ゴウさんの雑然としたガレージで
草レースに出るバイクを徹夜で作ったよねぇ。
僕はモトグッツィの1100スポルトで、
タケは、トライアンフのT595だっけ?
横でお互いのヨメさんたちが
ヒマそうにしてて、
僕らは手を油まみれにして。
僕がショップさんからVTR1000Fを借りてレースに出た時、
タケは僕の担当していたTL1000Sでレースに出て
予選で転んだよね。
2周ほど走っても同じところに転がってたから
とても心配したよ。
走行しているライダーが止るわけにもいかんし。
パドックに戻ってからも
「タクタさん、僕、どこで転んでました?」
って、何遍答えても、5分ごとに聞いてくるし。
結局、あのレースは僕が表彰台のてっぺんに立った
人生で唯一のレースだったんだけど
応援してくれてたみんなは
鎖骨を折ったタケと一緒に病院に行ってて
僕はせっかく勝ったのにガッカリだったよ(笑)
結婚したのは僕の方が少し早かったけど
似た時期に結婚して、長女が生まれたのも
2~3年後に長男が生まれたのもほぼ同時で
一時期近所に住んでいたこともあって
家族付き合いもありました。
というか、僕も竹田津も仕事で帰れなくて
ヨメさん同士が、一緒に『帰ってこないよねぇ』と
子供たちを抱えてグチを言っていた感じですが。
仕事の方では僕が98年にライダースクラブを離れ
RCエアワールドを作るようになりました。
正直、タケの方がライダースクラブに認められ
自分が外された感があって、忸怩たる気持ちがあったけど
そんな話はけっきょくタケとはせずじまいだったなぁ。
僕はラジコン飛行機、海水魚、そして、デジタルガジェットと
興味の赴くままにいろいろな本を作って
対して、竹田津は16年間、ライダースクラブひと筋だったねぇ。
最初はライダースクラブにいられる竹田津が
うらやましかったけど
タケを見ていると、ひとつのことを極めるのは、
それはそうで大変だろうと思うようになった。
ライダースクラブ自体もいろいろあったし
根本さんの作ったものの大きさと、
ライダースクラブという名前の大きさと
ずっと闘って、悩んでたよなぁ。
最近、ようやくそこを抜け出して
『竹田津のライダースクラブ』を
確立してきた感じだったのに。
ライダースクラブを離れてからの10年ちょっとは
ほとんど一緒に行動することはなかったけど
壁ひとつ、パーティションひとつおいてだったり
フロアが違うこともあったけど
ずっと、同じところで本を作っていたりしたわけで。
徹夜のさかなに自販機にお茶を買いに行くと
喫煙室に入るタケと会ったりして
『ど? 忙しい?』
と聞いて
『ええ、今週末締め切りっス。タクタさんは?』
『ギリギリ。ヤバい』
みたいな会話を、
ワンパターンに繰り返してたよね。10年以上(笑)
ここ、数年、ライディングパーティだけは
お手伝いに行くようになって
一緒に走るとタケのウマさには舌を巻いた。
こっちは、硬くなった身体と
ツナギの中にいっぱいになった身体を
やりくりしながらなんとか走っているのに
タケは、もうスイスイというか
後ろから見てると見とれるほどの美しいフォームで走ってた。
遠ざかるタケの後ろ姿を見ながら、思わずヘルメットの中で
「昔は、オレの方が速かったんやゾ」と
つぶやいてみたりね(笑)
あれが、日本中の読者の人から好かれ
世界中のジャーナリストに愛されてきた
竹田津の後ろ姿だったんだよね。
ほんとうにキレイに乗るようになったよなぁ。
別にそんな先の話はどうでもいいんだけど
タケがいないと、歳取ってから
オレは誰と茶飲み話をすればいいんやろう?
タケの分まで頑張るとか
それでもオレ達は前を向かなきゃいけないとか
そんなカッコいいことを言う気はさらさらない。
これからも、締め切りの徹夜の最中に
ふと、ライダースの編集部の方からタケが
歩いてくるような気がして
「ああ、そんなことはないんや」
って思うような日が続くような気がする。
タケが16年間続いたライダースクラブの締め切りから
開放されたおかげで
今、ライダースクラブの面々は大変そうだよ。
もっとも、大変なのはいつものことだけど。
タケがいなくても原稿を書いていたら眠たくなるし
時間が来れば腹が減る。
そのことがとても哀しいけど。
そうやって、日常は続いていく。
そして、それはとても重くてしんどい。
でも、そんな日常が続いていくことさえも
続いていくなら、
とても愛しいことなんだなぁと思うようになった。
(とても立派なお葬式でした。
タケの自慢のバイクや、作った本がいっぱい置いてあって
ビデオが流れていて、カッコいい写真が飾ってあって。
出棺の時に、まるでレースのスタートの時のように
自慢のDB5A/Cのエンジンがかけられ排気音が鳴り響きました。
「あの世で鬼でもぶっちぎれ」とは言いませんが(笑)
あの世でSEKITOBAのインプレをしたり
ジョン・ブリッテンにブリッテンの試乗でもさせてもらって
楽しんでればいいなぁと思います。)
●竹田津くんのことに関するtweetを集めてみました
「学ちゃんのときに「ふざけんなよ」って言ったのはタケさんだったじゃん。(@keikohonda)」
●竹田津くんのことに関するブログを検索で拾ってみました
(勝手にリンクしました。すいません)
(Captainタケタヅの世界の車道から)
コメント欄に多くの方からコメントをいただいています。
(Kens Talk2)
(ライダースクラブログ)
「レースもやっていた竹田津が早々公道でミスする事は有り得ず、
貰い事故死は割り切れない、実に悔しく惜しい。
こういう事をヤルから神等信じない、非存在的存在を謳うなら本物を殺すな。
有難う竹田津さんご苦労様でした。」
(加納典明オフィシャルブログ)
「キャプテンのあ~ほ~。
乙女やイケメン面々を悲しませて悪いオトコやで!!
こんな気分。(笑)」
(多聞恵美の…ときど記(仮))
「この間まで一緒にトレーニングしてたのに。信じられません。」
(佐藤裕児オフィシャルブログ)
「頼れる兄貴って感じでした。僕もこんな方に教えていただきたい,そういうふうに思わせるステキな方でした。」
(peacepact)
「ライダーズクラブを出版するエイ出版社のYouTubeチャンネルで
ライダーズクラブ元編集長の根本健さんと共に、インプレッションしている動画」
(「246」ログ)
【キャプテン】写真で見る、竹田津敏信のこれまでの仕事【ライダースクラブ編集長】
(NAVERまとめ)
「竹田津さんが……」
(MATSUYA ランド)
「読者、キャプテン竹田津ファンの一人として、
最後のお別れと、今まで素晴らしい仕事に携わることができた事に
感謝の気持ちをこめてお礼の挨拶をしてきました」
(マイ暮らし!)
「歳は若干下であるが、同じような青春をしていた男がまたいなくなってしまった。本当に残念で有る。」
(RIDERS EYE)
「近頃、竹田津編集長にもどり、昔のような、格調の高い
そして、乗ることの喜びにあふれた雑誌に戻ってきたなぁ。と。
嬉しく思っていました。」
(DUCATI ST4 916ccだって楽しい)
「記憶に残っているのは'06年のマン島TTの記事。
前田 淳さんがお亡くなりになった年。
同じTTコースを走り
「オレは運良く生きている」
という言葉がすごく印象的だった。」
(rare_single_rider)
(↑この人、Gallina TGA6に乗ってる。すごいな(笑))
他にもありましたら、コメント欄でお教えいただけると幸いです。
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